突き抜ける青



朝起きたら、晴れだった。
窓を開けて見上げた空は、果て限りなく青が続いて、どうにもこうにも晴れていた。
そんな青の中に一点の曇りを見つけて、目を凝らせばブーンと飛んでく複葉機だった。

子供の頃は、きっといつか空だって飛べるはずだと思っていた。
割と今でも思っているし、複葉機越しならいくらだって飛べることも、オトナな俺は知っている。
もっとも俺がいた世界には、複葉機なんてなかったけどね。
あるのはフワフワマルマル揺れて浮く、記憶に残る熱気球。



「アンタさー、さぼりの口実に俺を使うのやめろよな」
「失敬だな。図書館への道案内を私自らが買って出てやるといっているのに、その言い草はないだろう」
何十回となく訪れたことのある図書館に、なんで今更道案内なんぞが必要なんだ。と言いかけてやめた。
隣を歩く男が、いつになく楽しそうだったから。
「アンタさ…」
「こうして君と肩を並べて歩くのは、二度目だな」
もっともあの時と比べても、肩を並べられるほども君は育っていないがね。
今にも鼻歌を歌いださんばかりにやたらと上機嫌の男は、さりげなく無礼極まりない台詞を付け加えるのも忘れない。
なんでそんなに楽しげよ?と続けるつもりだった俺の言葉は、誰が針の目を余裕で通り抜けられるほどの豆だ、コラー!にその瞬間挿げ替わる。
そんな俺の憤怒の叫びを右から左へと聞き流し、大佐は楽しげにハッハッハとスタッカートを効かせて笑っている。
プリプリしながらそっぽを向いて、店のショーウインドウに目が留まった。
中途半端に磨かれた窓に歪んで、並び歩く大佐と俺と、鈍く光る銀時計の鎖が映し出されていた。
『軍の狗』
行く先々でそう言われては、いわれもない謗りを受ける。
国家錬金術師だと知られた途端、宿から放り出されたことも一度や二度のことではない。
それでも俺には、どうしたって必要な銀時計。
失われたものを取り戻すため、国家錬金術師になることは唯一残された俺の希望の全てだった。
「鋼の?どうした」
「あ、いや…」
「なんだ、気に入った品でも見つけたのか?」
店のショーウインドウを食い入るように見つめていた俺の視線に気がついて、大佐はどれどれ。などと言いながら、俺越しに店の中を覗き込んでいる。
ほんの僅かに屈んだ大佐のその姿が、まるで俺を抱き締めるが如く窓に映って、思わず胸がどきりと高鳴った。
――やべえ。
どきり。じゃねえだろう、俺。
この場合、むしろぎくりとするべきなのではないだろうか。
「いやいやいやいや…」
「ん?」
「否!」
「…わ、びっくりした」
言葉の割にあまり驚いた様子も見せずに、大佐は再びショーウインドウへと視線を向けている。
そんな大佐の様子をこっそり伺いながら、俺は最近大佐を見るたび湧き上がる、もやもやした気持ちを持て余していた。
いや、もやもやとは少し違っている。もぞもぞというか、そわそわというか。
分かりかけているのに分からない、出そうで出ない、そんな感じ。
「鋼の」
「…あ?」
「君、赤と青ではどちらがいい?」
「え?赤」
「そうか。よし」
ぼーっとしていたところに、あまりに唐突な質問だったので、思わずノリで答えてしまった。
質問の意味を問う暇もなく、大佐が店の中に入っていく。
そして、店から出てきたときには、手に小さなクマのキーホルダーを二つぶら下げていた。
「わー、ファンシー…」
「さあ、鋼の。銀時計を出しなさい」
「へ?」
「こちらの赤いクマを、君に」
「は?」
呆然としている俺を余所に、大佐は真面目な顔をして赤いクマのキーホルダーを俺の銀時計に括りつけている。
「そしてこちらが私の。青いクマ」
自らの銀時計にも同じように青のクマを括りつけると、大佐は思わず絶句した俺に向かい、
「ああ、随分と可愛らしくなったな。…これで少しは愛着が持てるだろう?」
と言って、笑った。

――やべえ、好きだ。
そう思った途端に駆け抜けてった、爪先から脳天までを貫く感覚に正直ビビッた。
――いやまさか、ありえねえ。でも、好きだ。
思い直した直後に、光の速さで追いかけてきた、ただ好きだという感情が、そわそわもぞもぞしていた俺の身体の隅々に、ぴたりぴたりと嵌め込まれていく。
ここ最近ずっと感じていた違和感が何だったのか、迂闊なことにも分かってしまった。
「うわあ…、超やべえ…」
「なんだ。どうした」
「あのさ。なんか俺、大佐のことすげえ好きみてえー…」
打ちひしがれて思わず天を仰いだ俺に、とても自然な様子で尋ねて寄越した男の声に、考えるより先に口が動いた。
「…ああ」
「…ああ!?」
同じ言葉を全く違うニュアンスで口から洩らして、違う目線で等しく視線を絡ませる。
「そうか、奇遇だな。私も好きだ」
言い訳を並べるよりも早く、そう言い放った男は眉一つ動かさず。
「好きだ」
見たこともない、子供みたいな無邪気な顔をして笑った。
思わず見蕩れてしまった男の青い軍服が、風に揺らされ翻る。男の背後には一点の曇りもない、覚めるような青空が拡がっていて、ああ、吸い込まれる。と思った途端に、ぴたり、と。
頭の中で、最後のパーツが俺の中に嵌め込まれる音が聞こえた。



「ちなみに身体の相性も、かなりピタピタいってたんだぜー…」
誰に聞かせるためでもない、恥ずかしい独り言を呟いて、俺は再び空を仰ぐ。
子供の頃は、きっと空だって飛べるはずだと思っていた。
割と今でもそう思っているし、ロケット越しなら一度は時空だって飛び越えた。
ピタピタやたらと相性のいいあの男が、あの空の向こう側にいるのなら、きっと俺はいつか必ずあの空だって、自分の力で超えてやる。
再び天から降ってきた俺を見て、腰を抜かしてビビるがいい。
俺はビビリすぎて動けないアンタの身体に纏わりついて、呪いのように愛の言葉を並び立て、思う存分泣かせてやるから。
そして、思い知るがいい。俺がアンタに放つ澱むことないこの愛を。
「――覚悟しとけよ、ロイ・マスタング」

見上げた先は、果て限りなく澄み渡った青い空。
記憶の中に翻る、突き抜けて泣きたくなるよな、無限の青。





「空・軍服・クマの青」




モドル