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ブルーにこんがらがって
大体、雪が降ったり雨が降ったり、そういうときにばかり呼び出しをかけてきやがって、出かける俺の身にもなれと、まあ、これはいつだって胸の内に秘めている切なる叫びだったりするわけなんだが、それを口に出さずにおくくらいには、俺は大人で、男でもあった。 冷えた廊下の突き当たり、チャイムを鳴らしてみたところで、出てくる気配は微塵もなく。 人を呼び出しておきながら、あ、悪ぃ。俺、寝てた。くらいは言ってのけそうな扉の向こうの住人に、今度はノックで自己主張を試みる。 ガチャガチャと鍵を開ける音が続いて、直後勢いよく開かれた扉の向こう、いかにも寝起きの様子のままに、金の頭がピョコピョコ揺れる。 「…悪ぃ。寝てた」 「――あ、そう」 こんな予想が当たったところで、毛の先ほども嬉しくない。 「外、寒かった?」 「おう。すげえ寒ぃぞ。雪降ってるしな」 「そっか。…あっかいもの、飲みたい?」 「飲みたいねえ…」 「そっか。俺も飲みたい」 「…わかったよ」 何が悲しくて雪の中を電話一本で呼び出され、挙句にセルフで茶まで淹れなきゃならんのか。 せめて、俺をもてなそうとするフリくらいしてくれてもよさそうなもんだよな。一度でいいからさ。だって、寂しいじゃねえか。 こう見えても、俺は寂しがりやなんだぞ?ウサギだぞ?構ってやらないと死んじゃうんだぞ?幼稚園だってウサギ組だったくらいだ。ああ、それなのに。 お茶の種類は何にするのか、そう尋ねようと顔を上げた視線の先、窓の外を眺めている彼の横顔にしばし見蕩れながら、先ほどの電話の声を思い出した。 それはまるで、構われないで死にそうなのを、じっと堪えるウサギのような。 『あ、俺。なあ、暇。家で待ってる』 俺の予定などおかまいなしなエラソウな台詞とは裏腹に、声が僅かに震えていた。 あんな声を聞かされたら。 行くに決まってんじゃねえか。雪が降ろうが嵐がこようが。 来るに決まってんじゃねえか。だって俺はもうずっと。 「…なに?」 「いや。…何にする?」 綺麗に並べられたお茶の缶を指し示しつつ、エドにそう促せば、予想通りに、なんでもいいよ。アンタの好きなので。とおざなりな返事が戻ってくる。 「そうか。じゃあ、宇治茶」 「…渋っ!」 おっさんらって、本当に日本茶好きだよな。 そう言って、楽しげに笑っている。 放っておけるわけがない。だって俺はもうずっと、ずっとこいつに惚れてんだから。 * 「あ。茶柱」 「どれ?」 白いカップを両手で持って、エドがそっとカップを近づけてくる。 「ほら、ね?茶柱」 「おお。本当だ。こりゃあ、縁起がいいや」 「どこのおっさんだっつの。さっきから」 「…で?」 「あ?」 茶柱を倒さないようにという配慮からなのか、静かにカップを口に運びながら、エドが不思議そうな顔をする。 「今日で、何日目だ?」 「…五日目」 「そうか」 「別に、もう慣れたけど」 「そうか」 大佐がエドと暮らし始めて、今年でちょうど五年になる。 そして、大佐がエドに無断で家を空けるようになってから、一年が過ぎようとしていた。 「…居場所もわかってんだし、別に子供じゃないんだし…」 「お前、それでいいのか?」 「…いいよ。もう慣れた」 ただ、帰ってくるなら、それでいい。 そう言って、じっとカップの中の茶柱を見つめている。 「甘やかしすぎなんだよ、お前」 「そうかな?…でも、今日みたいに」 「ん?」 「今日みたいに、雪が降ったりしてるとね。面倒だからもういいや、って。…このままずっと、もう帰ってこないんじゃないかって、そんな気になる」 「エド…」 「――なんちゃって」 不安そうに揺れた瞳を、隠すように笑ってみせた。 *** 一年前、視察に訪れた町の路地裏、俺たちは一人の花売りの少女と出会った。 「あの、軍人さん。私のお花を買ってくださいませんか?」 そう言って、おずおずと花を差し出した少女の指は小刻みに震えていた。 冷たく見下ろした男の視線の前に、俯きながら今にも泣き出しそうな声で、花を、とそう何度も繰り返した。 よくあることだ。別段、俺たちだからどうのというわけでもない。 軍人ならば、一度や二度。それどころか頻繁に目にするだろう光景だった。 だからこそ、いつものように黙って立ち去るだろうと思われた男が口にした言葉に、俺は心底驚いたのだ。 「――いくらだ?」 「は!?ちょ、アンタ…」 「黙れ、ハボック。お前には聞いていない」 弾かれたように顔を上げた少女は、羞恥と不安で顔を真っ赤に染めながら、花を三本差し出した。 「…三万?」 男がそう言えば、途端に首を横に振る。 「三十万か?顔に似合わず随分と…」 少女は目に涙を浮かべながら、更に首を横に振った。 「…三千、か。初めてだろうに。もっと吹っかけてもよさそうなものだが…。まあ、いい」 「アンタ…。本気ですか?」 「何がだ?…というわけだから、ハボック。お前、先に戻ってろ」 「冗談っすよね?アンタ、エドのこと…」 「聞こえなかったのか?先に戻れと言ったんだ」 それから一年がたった今、その少女は病弱な母親と弟を連れて、この街のはずれで倹しく暮らしている。 *** なんて、バカな男だろうと、今はここにいない己の上司に向かって、心の底から呟いた。 なにが不満だというのだろう。 目の前にいる、こんなに綺麗なものを独り占めして、さも当然のように、愛されて。 一体何が足りないというのだろうか。 どんな時でもエドがこの部屋で待っている保証なんて、どこにもないのに。 いつまでも愛されているという確証だって、どこにもないのに。 「…家出すっか?エド」 「は…?」 「お前がいつでも黙って家にいるもんだと思って安心してやがんだよ。…だからな?たまにはお前が消えてやれ。そんでその有り難みを実感させてやりゃいいんだ」 「…そんなん、ロイに通用するとも思えないけど」 そう言って、カップを見つめて小さく笑う。 「通用するかしないか、やってみなけりゃわかんねえだろ」 「簡単にいうけどさ。そんで俺が捨てられちゃったらどうすんの」 「それはねえよ。…それにもしも…」 「うん?」 「…いや。絶対にそれはないから安心しろ」 「どっからくんだ。その自信。…まあ、いいや。家出かあ…。面白そうじゃんな?」 エドは笑いながら、コートを取ってくるとそう言ってそっと静かに立ちあがった。 あの男が、エドを捨てるなんてことはありえない。 例えエドに捨てられようとも、だ。 他の女を囲っていたとしても、それだけは絶対の自信を持っていえる。 エドから離れられるはずがない。 あれは、麻薬。いずれ致死量に至る毒。 知ってはいても、やめられるわけもない。 俺にだってわかる。俺だからこそわかる。 それにもしも万が一、エドを手放すことがあるとするなら、そのときは。 ――俺がエドを攫っていく。 * 「…すんげ、寒いし」 「まあな、雪が降ってるしな」 どんよりどこまでも白く拡がる1月の空に、飽きることなく雪は降り続いている。 「これ、いつまで降るんだろ?」 掌で雪を受け止め、その溶ける様子を見つめながら、エドが言う。 「どうだろうな。少なくとも今はまだ止む気がしねえなあ」 吐く息が白く小さな雲を作る。そこからも雪が降り出していきそうに、一面白く埋め尽くされたこの世界。 サクサクと、誰も足跡を残していない新雪の上を踏みしめながら、エドが寒いなぁ、と繰り返し呟いた。 「――ダメじゃん。固まんない」 「思いのほか、粉雪だったな…?」 裏通りの人気のない公園の横を通りかかったとき、エドが唐突に雪だるまを作ろうと言い出した。 指先からサラサラと零れ落ちていく粉雪が、掌から逃げるように解けていく。 「折角、どでかい雪だるまを作ろうと思ったのになぁ」 「固まんねえからなー…。なあ、エド?」 「うん?」 「なんか、必要以上に静かじゃねえか?人っ子一人見あたらねえし」 「ああ、皆寝てんじゃねえの?雪降ってる中、わざわざ出掛けたがるのなんて、アンタと犬くらいのもんだ」 「お前、呼び出しといて犬扱いかよ。…でも、勿体ねえよな」 「何が?」 「今じゃなきゃ、わからないことだってあるだろう?」 「…何だよ、いきなり?」 この白く埋もれた何もない世界に立って。 例えば雪の冷たさに、近づく夜気の切り裂く気配。 かじかむ掌、人の気配の温かさ。 温まった部屋の中に閉じこもってばかりいては、決して気がつくことがないものを、手に触れて、身体で感じて、知ればいい。 明かりをつけて、自分のためにいつも部屋を暖めながら、誰かが自分の帰りを待っている、それがどんなに優しく幸せなことであるのかを。 「…雪だるまは無理だから、これ」 「ん?…うお!?」 小さめに握り込まれた雪の玉が、振り向きざまの顔をめがけて飛んできた。 「あっはっは!だっせー!」 「お前、後ろから狙うなんて卑怯だろ…」 「先手必勝っていうじゃん…って、うあ!?」 「はっは!鈍くせー!」 「…いきなり、なにしてくれてんだ!」 「それはもれなく、俺の台詞だ」 ぎゅうぎゅうと雪の玉を握り込んでいる、エドの掌が真っ赤に染まっている。 「指、しもやけになるぞ?」 「どうかな?そうかも」 頬までもを赤く染め、まるで子供のようにはしゃいでいる。 「――なにしてる…?」 不意に掛けられた声に向かって、エドが弾かれたように振り向いた。 「――ロイ」 公園の入り口、車止めのその脇に、男は所在なさげに佇んでいた。 エドはそんな彼の姿を認めると、泣き出しそうな、笑い出しそうな、今にも彼に向かって走り出していきそうな、そんな様子で彼の名を呼んだ。 「お前、こんな雪の中…」 「…アンタこそ、何してんの。こんな雪の中、傘もささないでバッカじゃねえの?」 バーカ。なにやってんだ、バーカ。 次々と繰り出される雪の玉を避けようともせずに、男がこちらに向かって歩いてくる。 エドが投げた小さな雪の玉は、見る間に男を白く飾り立てていった。 右手にエドが残した書置きを握り締め、ゆっくり歩く、男の手が赤く染まっている。 バーカバーカ。 エドは小さい雪の玉を作っては、男に投げ続けている。 その掌は、まるで血で染まったかのように真っ赤に腫上がっていた。 「…エド」 雪の玉を作り続けるエドを制止しようとして、やめた。 一点を見つめ続けるエドの視線の先、どこを探してみても俺の姿は認められなかった。 つけいる隙などどこにもない。 初めからわかっていた。 「世話をかけたな、ハボック。…エド。帰るぞ」 男はそう言って、赤く染まった指先で、エドの頬をそっと撫でた。 「――バーカ」 エドはそう呟き、目を閉じた。 待ち続けたただ一人の男の体温を感じながら、雪の玉を握り締めたエドの掌はもう、痛みすら感じなくなっているに違いない。 |