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右の扉
その日はしこたま酔っていて、家に帰るのも面倒で、とはいえ、このまま路上で一夜を明かすには、自分はあまりに多方面に向けて有名すぎる自覚もあって。 職場に戻るのはごめんだし、車を呼ぶにはメイン通りから遠く離れすぎたこの場所で、唯一頭に浮かんだのは、懇意にしている兄弟が借りているアパート以外、他になかった。 ふらつく足取りで、もうすでに身体が覚えてしまった、迷路のようなアパートへの道順を、不規則ながらも歩み続け、辿りついた扉の前、胸元のポケットからだいぶ前に渡された部屋の合鍵を取り出した。 目の前には暗く冷たい廊下がシンと続いている。 そのあまりの静けさに、クラリと一瞬世界が暗転した。 壁に手をついて、そのまま床に傅いてしまいそうな身体をどうにか支えて、廊下を歩く。 しばらく行けば、左右対称に備え付けられた扉がある。 向って右の扉の奥、愛しいあの子はすでに眠りについている頃だろう。 ドアノブを廻して、部屋の中に滑り込む。 憶測どおり、少年はすでにベッドの中に潜り込んだ後で、カーテンの隙間から僅かに覗く月光が、淡い蜂蜜色の髪を緩やかに照らし出していた。 「アルフォンス…」 名前を囁き、シーツから覗いた、白い脹脛に接吻を落とす。 そのまま程よく筋の張り詰めた太ももを辿り、足の付け根までゆっくり舌を這わしていく。 腰に廻した掌で、弾力のある肌の質感を楽しみながら、シーツの中に潜り込む。 うつ伏せになって隠れてしまった額と唇を諦めて、その長めの髪をかきあげ、顕になった耳たぶを唇で挟み込んだ。 「…起きているんだろう?」 瞬間、ピクリと竦んだ身体を抱き締め、耳元で囁いた。 いくら大らかな性格をしているとはいえ、ここまでされて眠っていられるはずもない。 「…起きてるよ。残念ながら、アルじゃねえけどな」 「――え?」 慌てて飛び起き、シーツを取り払う。 僅かに辺りを照らす月の明かりを頼りに目を凝らせば、複雑そうに顔を歪めたエドワードの姿がそこにはあった。 「な…!なんで何も言わないんだ、君は!」 「…人の寝込みを襲っといて、なにをエラソウに」 呆然とする私を、しばらく下から眺めていたエドワードが、仕方がなさそうに溜息をついた。 顔にかかる髪を鬱陶しそうにかきあげながら、しょうがねえな。と諦めた声で呟いている。 「酔ってんだろ?アンタ」 「…今ので一気に酔いが醒めたよ」 「そりゃそうだろうな」 「――すまなかった。どうやら、飲みすぎたようだ…」 「アンタ、たまに無茶な飲み方するもんなあ…。後悔するくらいなら、酒に飲まれるような真似すんなよ」 「ああ…」 「俺でよかったな?相手次第じゃ、アルが泣くぜ?」 そう言うと、喉の奥で小さく笑った。 「…ってさ。この会話、何度繰り返せば気が済むわけ?」 「鋼の…」 「アンタ、酔っ払って家にきちゃ、毎回毎回ご丁寧に俺とアルの部屋を間違えてくれるよなあ」 いい加減、慣れたけどな。でも、慣れればいいってもんでもねえだろ。 気怠るげな様子で身を起こしたエドワードは、人差し指を目の前に立てると、射抜くような真っ直ぐな視線を向けてくる。 「いいか?大佐。…アンタの可愛いアルフォンス君のお部屋は、廊下を向って左側。 そんでもって、アルの偉大なる兄上、エドワード様のお部屋は廊下を挟んで右の扉、つまりこの部屋。…OK?」 「ああ。わかった…」 「いい加減、覚えろよ。いや、覚えてください。…頼むから」 そう言うと、いいたいことはそれだけだと言わんばかりに、掌で部屋から追い出す仕草を寄越す。 「鋼の」 「ああ?」 「もうしばらく、いいかな」 「…なにを」 「いや…。もうしばらく、ここに置いてもらってもいいだろうか」 「はあ?なんで。…さっさとアルの部屋にいきゃいいだろ。アンタが用があるのはあっちだろ?」 「せめて、もう少しだけ。…酔いを醒ましてから行きたいんだがね」 「さっき、酔いは醒めたって言ってなかったか?」 「…頼むよ」 「――アルがさ」 視線を外したエドワードが、波打つシーツの皺に目をやりながら、小さな声で呟いた。 「アルがいつも俺に言うんだよ。『大佐、凄いカッコいいんだよ。兄さん』って」 「…そうか」 「うん。『いつも僕に優しくて、大人だし、僕の知らないことも沢山知ってる。大好きなんだ』って…」 「鋼の…」 「俺は、アンタのこういうだらしないとことか、情けないとことかさ。…知ってるのは、そんなんばっかだ」 そう言って、どさりと身を横たえ背を向けた。 その首筋がほんのり赤く色づいていて、形振り構わず手を伸ばし、引き寄せ抱き締め、噛み付きたい衝動に駆られた。 「…エドワード」 「呼ぶな…!」 頑なに拒絶を示したその声が、微かに震えて空気を揺らした。 後悔ならばずっとしている。 自分の気持ちを履き違えてしまった、あの時に。 秘め続けていた君の想いに気づけなかった、5年前のあの日から。 それきり口を閉ざしてしまった君に背を向け、扉を閉めた。 君の元へ辿りつく迷路のような道順を、すでに身体が覚えている。 酒に溺れて酒に飲まれて、ようやく叩ける自ら閉じた扉の向こう、 嗚咽を堪える愛しい君の泣き声を、ずっと背中で聞いていた。 |