ロイを初めて見たのは、葬儀会場でのことだった。外には雪が降っていた。
椅子にぼんやりと座り込んでいた俺にロイは、やあ、と言った。
久しぶりだね、エドワード。と言っても、君は私を覚えていないかもしれないが。
出会ったばかりの俺に向かって、そう言った。
「私はロイ。君のお母さんの弟だ」
「ロイ?俺の、…叔父さん?」
「まあ、そうだね」
でも、ロイでいいよ。
そんな風に言うと、そっと俺に手を差し出した。
「おいで、エドワード」
「え?」
「今日から私が君の家族だ」
戸惑い、うろたえ、目の前に差し延べられた掌から視線を巡らせれば、もう春休みになるのに、外には雪が降っていた。
暖かな部屋の中では、俺の家族が沢山の花に囲まれながら、今は静かな眠りについていて、もう二度と目を開くことはない。
「…ロイ」
「ああ」
戸惑いながら、うろたえながら、それでも俺はロイの手を掴んだ。
そうして俺はその日から、ロイと二人、家族になった。



トワ・エ・モア



「ねえ、エドワードさん」
放課後の教室、ニコニコと音がしそうなくらいに笑顔満開なアルフォンスが、俺の隣でいそいそと鞄に教科書を詰め込んでいる。
「うん?」
「今日、寄り道していきませんか?」
「別にいいけど。どこ行くんだよ?」
「いちごパフェを食べに行きましょう」
「お前、またかよ!」
えー、いいじゃないですか。春なんですから。
むしろお前が春なんじゃないか、と思わせる笑顔でそう言った青い瞳をしたアルフォンスは、お隣の国からきた留学生だ。
去年の春先、俺のクラスにやってきたアルフォンスは、生意気にも飛び級なんぞをしているらしく、実質クラスメイトの俺たちよりひとつ年下なためか、どんなに親しくなろうとも、クラスの誰に対しても決して敬語を崩そうとせず、そして何故かやたらと俺に懐いている。
アルフォンスにとって、俺のファーストインパクトは相当たるものだったらしいので、そのせいかもしれない。
まあ、そうかもしれない。というか、そうだと思う。
初対面の相手から、いきなりアイアンクローをかまされれば、そりゃ誰だって驚くだろう。
俺にとっても、アルフォンスとの出会いは衝撃的なものだった。
似ていたのだ、泣きたくなるくらい。…弟のアルフォンスと。
だから動揺して、動揺しまくって、思わず手が出た。即ち、アイアンクロー。
流石に、初対面でいきなりそれはないだろうと自分でも思うのだが、結果、それがよかったというのだから、人ってわからない。
というより、アルフォンスがわからない。なんで立て続けに3日連続、いちごパフェばかりを食べたがるのか、俺にはさっぱり理解できない。
「いちごパフェって春らしくて、幸せな食べ物だと思いませんか?」
「…まあね、そうなのかもな」
「それと、今度エドワードさんのお家にお邪魔してもいいですか?」
「ダメ。…つか、お前。話の流れに脈絡がなさすぎねえか?」
「えー、なんでデスカー。どうしてデスカー」
「急にカタコトになっても、ダメ。なんかお前、下心がありそうなんだもん」
「下心なんてないですよぅ。…僕はただ、ロイさんにお会いしたいなあ、って」
「…だから、なんで」
「何事も最初が肝心といいますし。きちんとご挨拶しておきたいじゃないですか。将来、僕の叔父さまになられるかもしれない方なんですから」
「……超、ダメ」
ありえない理由をありえないほど朗らかに言い放ったアルフォンスに、力いっぱい力が抜けた。



「あまり似てないって、言ってましたよね」
「つか、全然似てねえよ」
目の前でいちごパフェを食べているアルフォンスに付き合って、結局同じようにいちごパフェを食べながら、しまった、ショートケーキにすればよかったと、俺は軽く後悔しながらもそう頷いた。
アイスはいい、イチゴもいい。だけど、イチゴのジャムが。ジャムの甘さがもう辛い。
「手土産は何がいいんでしょうね。甘いものとかお好きなんでしょうか?」
「ロイ?」
「ええ」
「かなり好き。って、なに勝手に話を進めてんだよ…」
金髪金目の俺と違って、漆黒の髪と瞳を持つロイは、ぱっと見やたらとクールっぽいのに、とにかく甘いものが好きで、プリンやらシュークリームやら、特にこだわりもないのか、よく会社帰りにコンビニあたりで買ってくる。どうやら白いものが好きらしく、生クリーム満載のケーキとかレアチーズケーキなども好んで買ってくるのだが、いそいそと箱を開けて、ケーキの周りについているピラピラしたセロファンを慎重に剥がしている姿などは、アホっぽくてとても可愛い。セロファンについたクリームを、フォークで丁寧にかき集めているところなんて、健気で微笑ましいとさえ思う。
いつだったか練乳をチューブから直飲みしているのを見たときには、流石に引いたけど。
「ロイさんって、エドワードさんの叔父さんなんですよね…?」
「そうだけど。なに、それはなんの確認?」
「エドワードさん、叔父さまのことをいつも名前で呼んでますよね」
「ああ、うん。そう呼べって、最初のときに言われたから」
5年前、俺の記憶に残る限りの、ロイと初めて会ったとき。



今日から私が君の家族だ。
そう言ったロイは、その言葉の通り、二人で一緒に暮らすため、葬式が終わるとすぐに俺を連れて自宅のマンションに向かった。
なにを考える暇もなかった。当座の荷物を纏めて、慌しく家を出た。誰もいない家の寂しさに、気がつく余裕もないほどに。
引っ越してから数日がたった日曜日の朝、ぼーっとテレビを観ていた俺に、ロイが唐突に映画を観に行こうと言い出した。
君さえよかったら。と言いながら、手にはしっかりポケモンの映画のチケットが二枚握られていた。
二人がまともに視線をあわせて会話を交わしたのは、この時が初めてだったように思う。
互いが互いの距離を測りかねていた。馴染まなければと思えば思うほどに空廻る、その悪循環に互いが焦り、焦ったところでなにがどうなるものでもない。
今にして思えば、大人であるロイが、俺に歩み寄ろうと子供視点になって懸命に考えた末の結果が、ポケモン映画を二人で観るということだったのだろうと思う。
多分、ロイも必死だった。俺が必死だったように。
正直、ポケモンにはあまり興味がなかったし、というよりポケモンを観て喜ぶ歳でもなかったし、然程乗り気でもなかったのだが、俺はわーいと素直に喜ぶフリをして、ロイが差し出したチケットを手に取った。
チケットを手にした途端、アルがこの映画の封切をとても楽しみにしていたことを思い出した。将来、ポケモンマスターになるのが夢なんだと目を輝かせていたアルを、ぼんやりと思い出した。


封切初日なためか、映画館は子供連れの家族で賑わっていた。
お約束のように片手にポップコーンを片手にコーラを持ちながら、隣に座ったロイを窺い見ると、いつの間に買ったのだろうか、真剣な面持ちでパンフレットを眺めている。
「…なあ、エドワード」
「なに?」
「知らなかったよ。ポケモンには、いろんなピカチューがいるんだな?」
「…や、それ違うと思う。ピカチューはこれ。そんで、それはニャンギラス」
「え。これ全部ピカチューじゃないのか…?」
「うん。違う…」
無駄に見詰め合ってしまった俺たちの間に、なんとも言えない空気が流れ始めた頃、ビー。と開演のブザーが鳴った。

ポップコーンをポリコリ食べながら、スクリーンを見つめる。
初めてみるポケモンが、でかい試験管の中で蹲っていた。
ミューツーと呼ばれたそのポケモンは、幻にして最強のポケモン、ミューから生まれたクローンポケモンなんだそうだ。
ここはどこだ。わたしは誰なんだ。わたしは何のために生まれてきたんだ。
スクリーンの中で、ミューツーが呟く。
俺はポップコーンを摘んでいた手を止めた。
『ここはどこだ。俺はどうしてここにいるんだ』
気がついたら、病院のベッドの上にいた、あの日。
遊園地に行くはずだった。
新しくできたジェットコースターに乗りたくて、父さんと母さんに遊園地に連れて行って欲しいと強請った。
じゃあ、次の休みにな、って父さんが言って。
母さんは、エドの好きなから揚げとアルの好きなサンドウィッチを入れたお弁当、沢山作るわね、と笑って言った。
お弁当と水筒を持って車に乗って、朝早い時間に家を出たからアルはまだ眠そうで、それでもワクワクした顔をしながら、兄さん、ついたらまず最初になにに乗ろう?って、凄く楽しそうだった。
キキキーと急ブレーキを踏む音と、前のめりに大きく打ち付けられた身体。そして、暗転。
交通事故に遭ったのだそうだ。一瞬のことすぎて、あまりよく覚えてはいないけど。
ただ、気がついたら病院のベッドの上にいた。
部屋には医者の先生と、看護婦さんがいた。父さんも母さんも、アルもそこにはいなかった。
『父さんは?母さんは?ねえ、アルは?』
三人は別の部屋にいるのよ。
『じゃあ、俺もそこにいく。俺もいくよ』
そう言ったら、先生も看護婦さんも黙って首を横に振った。
わからなかった。全然、意味がわからなかった。
なにが一体、どうしたっていうんだろう。
なんで俺だけ一人なんだろう。どうして俺は皆のところにいけないんだろう。
あの時はわからなかったその意味を、知ってなお今も認めることができずにいた。涙すらでなかった。
ここはどこだ。わたしは誰なんだ。どうしてわたしは生まれてきたんだ。
――ひとりにされるくらいなら。



「…ワードさん、エドワードさん」
「あ、なに…?」
「いえ。…アイス、溶けちゃいますよ?」
「ああ、うん…」
青い目をしたアルフォンスが静かに俺に微笑みかける。
俺は慌てて、溶けかかったアイスを一さじスプーンで掬った。



映画はクライマックスを迎え、ミューツー率いるクローンポケモンと、ピカチューたちオリジナルポケモンとの戦いが繰り広げられていた。
不毛すぎる戦いだった。どうして同じ生き物同士で戦わなければならないのか。
その頃には既に俺はすっかり映画の中に入り込んでいて、食い入るようにスクリーンを見つめていた。
ミューツーとミューの戦いを止めようと、サトシが二匹の間に割って入る。
「…あ」
小さく、声が出た。
ピンクと青の閃光に包まれたサトシが、石になる。固まって動かない。渾身の力を込めたピカチューの電撃を受けても、ピクリとも動かない。
動かないサトシに向かって、ピカチューが何度も呼びかけていた。
ピカピ、ピカピ、と繰り返し、涙を零して何度も何度も。
俺は思わず隣に座っていたロイの手を掴んでいた。無意識だった。
ピカチューがピカピと泣くたび、ぎゅうぎゅうとロイの手を掴んだ。
そしてロイは、ただ黙って俺の手を握り返した。その大きな掌に妙に安心したのを覚えている。

映画館を出てから、何の会話をするでもなく、二人で黙々と歩き続けた。
食事をするにはまだ早い時間だったので、映画館の近くにあった喫茶店に寄った。
苺のショートケーキを食べている俺の前で、ロイはふざけてんのかと思うほどにでっかい苺パフェを食べていた。
パフェには何故かチーズケーキまでが刺さっていた。
ロイがどうやら甘党らしいと知ったのは、多分このときが最初だろう。
「…エド」
バカみたいにでかいパフェを、さも当然のような顔をして食べ続けていたロイに、唐突に名前を呼ばれた。
顔をあげると、やけに真剣な顔をしたロイと目が合った。
「考えたんだが」
「うん」
「急に家族になろうとしても、きっと上手くいかないと思うんだ」
「…うん」
「だから、ゆっくり家族になろう。ゆっくりと時間をかけて、お互いのことを知っていこう」
「うん…」
「…そう、二人でもっと話をしよう。いろんなことを。私を君に知ってもらいたいし、私も君のことが知りたい。どんなことでも、なんでもいい。そうだな、まずは…。ピカチュー以外のポケモンの名前を、私に教えてくれないか?」
パフェを前に、不釣合いなほどに真面目な口調と面持ちで。ポケモンの名前とか。
ロイは俺が思うより、きっとずっと誠実で、不器用な人なのかもしれないと思った。
「…ポケモン?」
「そう」
「うん。…でもね。実を言うと、俺もそんなに詳しくないんだ」
「そうなのか?」
「うん。あのね、俺が好きなのは…」
「ああ」
そうして二人で飽きることなく、どうでもいい話をし続けた。
好きな漫画、好きな本。好きなアイドル、好きな歌。
本当にどうでもいい話ばかりだ。そんなどうでもいい話でも、二人にとっては大事だった。
パフェが溶けるのも気にせずに、ロイは頷きながら微笑んで俺の話を聞いていた。
そして、そんなロイを見て、ああ、もしかしたら俺はひとりじゃないのかもしれない、と。
唐突にそんなことを思った。
嬉しかった。自分でもビックリするくらい、そのことだけがただ無性に嬉しかった。



「…本当は」
「うん?」
「あるんです、下心」
「…は?」
アルフォンスの呟きに、俺はイチゴに喰らいついていた手を止めた。
「壁があるでしょう?」
「え?」
「壁、壁、ここにも壁。…エドワードさんの周りに張り巡らされた、見えない壁」
ほら、ここにも。俺の目の前で手を翳しながら、アルフォンスが言う。
「今こうしている間にも、どんなに一緒に居たって、同じものを食べていたって、僕とエドワードさんとの間には、いつだって見えない壁が存在しているような気がする」
「なにを、いきなり…」
「気を悪くされたら、ごめんなさい。でも、僕だけじゃない、誰といるときにだって、どんなに楽しそうに笑っていても、エドワードさんはいつも一人ぼっちでいるみたいな、そんな表情をするでしょう…?」
「…んなこと、ねえよ。つか、俺を勝手に分析すんな、って…」
ドキリとした。殊更明るく言い放ちながらも、内心、激しく動揺していた。
「そうでしょうか…。でも、僕にはそう見える。…だから、会ってみたいんです、ロイさんに」
「だから、なんでそこでロイがでてくんだよ…。ロイ、関係ねえだろ…」
「ありますよ。だって、ロイさんの話をしているときのエドワードさんは、いつもと違って見える。嬉しそうに、それでいて…。とにかく、壁が薄らいで見えるんです。エドワードさんにとって、僕と…僕らとロイさんの何が違うのか。僕はそれが知りたい。だから、会って話がしたい。…そんな下心が、あります」
射抜くように真っ直ぐに俺を見つめる、アルフォンスの視線に何故か後ろめたい気持ちに駆られ、俺は目の前のパフェに視線を落とした。
「別にたいした理由もねえよ。違いとか、簡単なことだろ。お前は俺の友達だし、ロイは俺の家族なんだしさ…」
「…5年間の実績ですか」
「5年だって家族は家族だろ。いい加減にしろよ、お前…なにが言いてえんだよ!」
「――エドワードさん。あなたにとって、ロイさんは単に家族というだけですか?」
「そうだよ。他になにがあるってんだ」
「…そう、ですか」
でも、まるで。
彼の名前を口にする貴方はいつも、嬉しそうに大事そうに、そしてどこか切なげに、まるで恋する人を呼ぶように、貴方は、いつも。

ガタリと音を鳴らして席を立ち、俺を呼び止めるアルフォンスを置き去りにしたまま、店を出た。
彼の言葉に、否定も肯定もしないまま。けれど、こんな風に逃げるように立ち去ってしまえば、肯定したも同じなのかもしれない。
わかっていても、言葉なんて何ひとつ浮かんでこなかった。
それほどまでに動揺していた。
自分でも目を逸らし続けていた、心の奥底、秘めた想いの塊を、いきなり目の前に突きつけられた、その事実に酷く動揺していた。