室内に白い光が射しこんでいる。
開け放たれた窓からは凛とした空気が流れ込み、直に迎えるであろう冬の気配を感じさせた。
「…准将」
新しく与えられた執務室は、以前より幾らか広めで居心地がいい。
「なんだ?」
「今頃、大将たちは…、どこでどうしてるんでしょうかね…?」
不意にそう尋ねられた。
「――え?」
「生まれ故郷のリゼンブールで、幸せに暮らしてんでしょうかね」
「…ああ。そう、だな」
窓辺のカーテンがふわりと揺れ、記憶の片隅を金の髪が掠めていく。
言われて初めて気がついた。
思い出したことすら、なかった。

耳に残るは君の声

「なあ、大佐?」
「ん?」
「大佐はさ、幸せってどんな色をしてると思う?」
「なんだ、いきなり…?」
本のペイジを捲る指を止めて、公園のベンチ、隣に座る少年へと顔を上げれば、少年はぼんやりとした表情をして、遠く空を見つめていた。
つられて空を見上げれば、薄く棚引く雲の向こうに、青空が茫洋と透けて見える。
「…ただ、なんとなく」
願う未来がなにひとつ、叶えられたわけでもないのに。
こんな麗らかな昼下がり。アンタとこうしていることが、ただなんとなく。
ただ、なんとなくね。
そう言ったきり口をつぐんでしまった少年が、唐突に突きつけてきた問いかけに、上手く応えられる自信はなかった。
柔らかな春の陽射しに照らされて、普段は透けるように白い少年の頬が、今は薄っすら色づいている。
「…そうだな。願う未来が何一つ、叶えられたわけではないが」
「うん」
「もしも、幸せに色があるとして。…きっと、それは」
青く続く空の色。風が揺らす木々の色。日常を彩る全ての色が、多分きっと幸せの色。
「答えになっていないかな…?」
言いながら、思わず苦笑した。
我ながら随分と月並みな台詞だと、そう思った。
それでも、少年は私の答えにそっと小さく首を振り、そして静かに微笑んだ。
その横顔を見つめながら、変わらず空を仰ぎ見る、君の色づく頬に触れ。

そうもしも。幸せに色があるとするのなら、優しい君の、仄かに染まった頬の色。
君のいる風景が、その全てが幸せの色。
――確かにあの時、そうと感じたはずなのに。


エドワード。
君のいない毎日は、とても静かで穏やかな毎日だ。
今だに続く国家の領土を巡る争いも、未だ残る戦争の爪痕も、軍に所属し、誰より身近にいるはずの。
…私にとっては、それすら遥か遠くで起きている些細な出来事に過ぎない。
無理をせず、なにも抱えず生きていく毎日が、こんなにも容易いものだと、初めて知った。
『なあ、大佐?』
君の声が、聞こえる。
『もしも、幸せに色があるとして』
思い出すことすら、しなかった。
『それはどんな色をしてると思う?』
思い出すのが、怖かった。
耳を塞ぎ続けた、君の声。今はこんなに近く、君の声。
『ねえ、大佐…』
…そうだな。
今なら君に伝えられるような気がしている。
あの時は、上手く答えることができなかった。
もしも幸せというものに、色をつけるとしたならば。

君がいない毎日は、とても静かで穏やかな毎日だ。
淡々と過ぎるこの日々を、『幸せ』とそう呼ぶのなら。
君が尋ねた質問に、答えを出すことができるだろう。
幸せに色をつけるなら、それは白く、白く、どこまでも続く白い日々。
君がいないこの日々が、幸せな日々だというのなら。

「准将?」
『あのね、大佐』
――ああ。
「准将?聞いてます?」
『大佐、聞いてる?』
今も、また。
「…ああ。聞こえているよ。…鋼の」
「――…」
耳元近く、今なお鮮やかに蘇る。
『ねえ、大佐』
耳に残るは君の声。
少年はあどけなさの残るその声で、幸せ?と、そう囁いた。



以前よりいくらか広さの増した、ロイ・マスタング准将の執務室。
椅子から立ちあがった准将の前には、重厚な作りの机を挟んで、副官以下、馴染みの顔ぶれが揃って並び立っている。
「…私は」
僅かな沈黙の後、マスタング准将が徐に口を開いた。
「私は、再び上を目指すつもりだ。恐らく、以前に増して険しい道のりになるだろう」
静かに語られるその口ぶりに、迷いはなかった。
「ヘタをすれば降格どころでは済まされまい。無理に私に付き合う必要はない。道連れにするつもりもない。選ぶのは君達だ」
ついてこい。そう言った以前と変わらぬ意志の宿った強い瞳に、並び立つ部下達の顔に自然と笑みが浮かんだ。
「…なにを今更」
誰より彼に忠実な、副官がそう答える。
「お供しますよ。どこまでだって」
少尉の声に、皆が揃って頷いた。
「そうか」
准将の固く結ばれた口元に、ほんの僅か笑みが零れる。
「…ありがとう」

そうして、始まる毎日は。
静けさや穏やかさなどとは一切無縁な、戦いの日々。
白く続くこの世界から、その一歩を踏み入れる。
再び君を、この手で抱き締めるその日まで。
そしてまたいつの日か、あの色づく幸せな日々。








アニハガ最終話、へなちょこ准将に寄せて

モドル