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俺がその男に会ったのは、街にクリスマスソングが流れ始めた12月の半ば、風が強くて星の綺麗な、けれど狭い階段をいくつか下った先にある、空気の篭った小さな店ではそんな気配を微塵も感じることのない、そんな夜のことだった。 男はカウンターの隅のスツールに腰掛けて、舐めるように酒を飲んでいる。 俺は煩くない程度の声色と陽気さでもってその男に近づいた。よう、久しぶり。俺のこと、覚えてる? 人生はバラ色だ
チロンコロンと可愛らしいカウベルの音とともに入ってきた男を一目みて、いいケツしてんなあ、と感嘆の声をあげたのはハボックだった。 あら本当、いいお尻。と相槌を打ったのは、でかくごつい手でちまちまと野菜スティックを運んできたママのルイルイだ。 ねえ、エドちゃん。見て見て、本当にいいお尻だから。そんなママの言葉に促され、俺はルービックキューブと格闘していた手を止めて、マジでー?と言いながら、それとなく男の方に目をやり、あ。と小さく声をあげた。 キレイな黒髪。兄さんが好きそうなタイプだよねえ、とアルがニンジンをぽりぽり言わせながらのんびりと笑っている。 「でも、ノンケだわ」 「だなあ、ノンケだ」 勿体無いわね、勿体ねえな、とママとハボックが芝居がかった仕草で大仰に溜息をつく。 男をノンケと見極めるのはそうそう難しいことではなかった。少なくともその場に居合わせたゲイの皆様は、直感的にそれを悟っていた。 仄かに香るブルガリの香水なんかじゃ隠せない、日の当たる場所、真っ当そうな匂いが男からはしていた。 「うっかり間違えてこの店に迷い込んじまったんだろうな。…ついでにうっかりヤらせてなんてくれねえよなぁ?」 モデルでもいいんだけど。煙草を銜えてしみじみとそんなことを言うハボックは、いかにもガテンな見た目に反し、ゲイ専門のAVメーカーの制作兼ADの仕事をしている。所謂大手ではないらしいのだが、ジャニ系、キレイ系、アスリート系などいくつかのレーベルを有しているらしく、今日も新作「ガン突き!マジ泣き!容赦ない責めで掘りあげる!」などの煽り文句がパッケージに羅列された『発射オーライ!痴漢バスvol.5』というビデオを、宣伝よろしくね、とママに進呈していた。 「無理だと思うよ?モデルも含めて」 無理、絶対。と、にっこり笑ったアルは俺の弟だ。いたってノーマル嗜好だったはずのアルフォンスは、どういうわけだかハボックに惚れているらしく、それを誰にも悟られていないと思っている本人と、惚れられている当人以外の、周りはみんなそのことに気がついている。 「そうねえ、無理ねえ。…ノンケだもの」 そう呟いたママのルイルイは、ノンケだった20歳の頃、ノンケの男を好きになり、相手の男もママのことを好きになったので、それから3年間その男と付き合っていた。3年たって相手の男は結婚する、とママを棄て、後に残ったのはノンケだった彼の為、ゆったり優しい女言葉と、必要以上にフェミニンな立ち居振る舞い、どうしたって似合わない女の服を身につけた、すっかりオネエな今のママだけだった。 「…そうかな」 それまで黙って聞いていた俺の言葉に、さりげなく男に寄せられていた三人の視線が一気に集まる。 陥とせないかな、ノンケの男。ジン・ライムで舌を湿らせながら、にたりと笑う。 「いいじゃん、ノンケの男。一度試してみたいと思ってたんだよ、俺のセックスアピールってやつがどこまで通用するもんか、ってね」 へえ、珍しい。いつも面倒くせーってナンパ待ちのお前が、ナンパ仕掛けにいくわけ?いくら兄さんだって、ねえ、相手が悪過ぎない?あの人なんか高尚オーラが出てるけど。ノンケなんてやめときなさいよ。バカね、バカだわ。アンタって子は、本当にもう。 三者三様、それらを軽く手で制して、俺は静かに立ち上がった。 「まあ、見てなって。暇つぶしにはもってこいだろ?」 それにさあ、俺がアイツを連れ出すことが出来たら、なあ、なにくれる? 「お前、賭ける気かよ!」 「兄さん…」 ゲラゲラと笑い出したハボックと、呆れたように溜息をついたアルを横目で見遣って、にこりと微笑んだ。 「…いいぜ、乗った。うまくいったら、そうだなあ…。お前が前に欲しがってたコレ、やるよ」 「クロムハーツ?いいねえ」 「おい、エド」 グラス片手に席を離れようとした瞬間、ハボックの制止がかかる。 「うん?」 「その賭けさ。俺が勝ったら、お前は俺になにをくれるわけ?」 「そうだな。じゃあ、俺のとっておき…」 「なになに?」 「可愛い弟、アルフォンス君を」 「ちょ…っと!兄さん!?」 再び笑い出したハボックと、顔を真っ赤にしながら慌てるアルと、ほんとにアンタって子は…と深い溜息をついたママを背に、俺はカウンター席に近づくと、男に向かって声を掛けた。よう、久しぶり。俺のこと、覚えてる…? ソフランには、ピンクフローラルとグリーンシトラス、清潔な石鹸の香りの三種類があって、俺のお気に入りはピンクフローラルの香りだったりする。太陽の光を浴びたお花畑にいるような気分になれるからだ。 今、俺の家の洗濯機からはそんなお花畑の匂いがしていて、吸い込まれそうな水の渦の向こう側では、白いシーツがガガンゴゴンと音を唸らせぐるぐると廻っている。 蓋が壊れて中が丸見えの洗濯機が唸るたび、タプンタプンと水が飛び出てくるので、その側に佇む行為は割とデンジャラスだ。 だけど洗濯機を廻すたび、二、三歩勝手に歩き出すそれを足で抑えるという役目があるので、俺はその場を離れることができずにいる。 今日はとてもいい天気で、けれど風が強かった。洗濯日和ではないのだろうが、俺は今、鼻歌まじりで真白いシーツを洗っている。 俺のこと、覚えてる?いかにもナンパなその台詞にも素直に顔を上げた男は、ほんの僅か驚いたように目を見開くと、そのまま直ぐに俺の手元を指差して、まだコレ、揃えられないのか。と言って小さく笑った。一面揃えるのは得意なんだぜ?と俺も笑って先程まで格闘していたルービックキューブを男の前に掲げてみせる。 「センセー、5年ぶり」 「もう、そんなになるのか…」 男は俺の手からルービックキューブを取り上げると、いとも簡単に六面全てを揃えてみせて、得意そうに片眉をあげると、昔と同じ、優しい顔で微笑んだ。…ああそう、これこれ。俺はこの顔に弱かった。 取り立てて思い出が残っているわけでもない高校時代、俺はいつも授業の間、時代遅れのルービックキューブの面を揃えることに夢中だった。一面ならば容易く揃う、けれど二面、三面と進むうち、どうにも面が揃わなくなってくる。むきになってガチャガチャとキューブを鳴らす俺の前に立ったセンセーは、授業に参加しないか、お前は。と言っては俺からそれを取り上げて、全部の面が揃ったらね。という俺の目の前で、華麗な手つきで素早く全面を揃えてみせた。ほらみろ、揃った。と勝ち誇りながら俺にキューブを差し出すセンセーは、悔しかったら授業に参加してみせろ。と言っては優しい顔で笑っていた。 どういうわけだか、無駄に成績だけはよかった俺に対して、どの教師も、担任すらもが放置プレイをかます中、センセーだけはいつだって、俺のことを見逃したりはしなかった。掃除をサボれば怒られたし、気まぐれに中庭の花に水を遣った時には褒めてくれたりもした。 怒られたり褒められたり、優しい顔で微笑まれたりするたびに、俺はいつも心臓あたりがドキドキとして、妙な焦燥感とかそういうものに苛まれたりもしたのだけど、今ではもうそんなこともなく、ああ、我ながら随分と大人になったもんだよ、と感慨深い気持ちにもなる。 「センセー、こんなとこでなにやってんの。ここがどんなトコだかわかってる?」 「いや…。どういう場所なんだ?」 「ゲイバー」 ニヤニヤ笑って伝えると、センセーはそうなのか。と心底驚いた素振りでそう言った。 「そうなんだよ。さっきから絡まる視線がいっそ痛いほどだっただろ?アンタ、物色されまくりだよ」 「そうだったのか…。いや、知らなかった。ヤケに見られているなとは思っていたんだ」 そうそう、そういう見た目を裏切る、アンタのさ。とぼけたところも、俺はとても気に入っていた。 「それで、君がどうしてここにいるんだ?」 「ゲイだから」 さらりとカミングアウトしてみせた俺に向かって、そうなのか。とセンセーは、驚きもせずにそう言って、俺が好きだった優しい顔で、そうだったのか、と繰り返し呟いた。 ガウンガウンと音を響かす洗濯機の中は佳境をむかえ、最終段階、脱水処理が行われている。 片足で洗濯機を押し留めながら、あ。と思い出した俺は、携帯電話をケツポケットから片手で取り出し、時刻を見た。 午前9時。どう考えてもハボックはまだ寝ている時間だ。クロムハーツのリングどころじゃ済まされない、ビックリサプライズなことの顛末を話して聞かせるつもりだったのに。ビビるだろうなあ、つかむしろ俺がビビったつー話だけどな、ケケケケケ。 ぱたりと携帯電話の蓋を閉めると同時に、毀れた笑いが口から零れた。 ここはどうにも視線が煩く落ち着かないから、どうだ場所を変えないか、と言ってきたのはセンセーのほうだった。 なので、俺はいいよーと相槌を打ちながら、だったらさあ、家にくる?と軽い口調で聞いてみた。下心なんて多分なかった、少なくともこの時点では。 そうしたらセンセーは、感情の読めない目をしてしばらくの間俺を見つめると、いや。と否定の言葉を口にした。そらそうだよねー、いきなりのカミングアウトを聞かされた後じゃあねー、と思っていたら、ここからだったら、私の家の方も近いよ。と言って、センセーは席を立った。 「大したもてなしもできないが、簡単なつまみと酒くらいなら用意できる。だから…」 家にくるかい、エドワード。 お、お、お、マジか!とヘンな鳥みたいになっているハボックの声だとか、またねえ、エドちゃん。と手を振るママだとか、黙ってセロリをぽりぽり齧っているアルだとか、そういう皆の熱の篭った視線を背後に受けながら、俺はセンセーと一緒に店を出た。大して飲んだわけでもないのに、身体が妙にフワフワしていた。 センセーが俺の名前を覚えていてくれた。それだけのことが、ただ無性に嬉しかった。 脱水を終えた洗濯機がようやくと静けさを取り戻した。まったく厄介な洗濯機だが、壊れかかってそれでも必死に洗濯しようとするその姿勢を、俺は密かに気にいっている。 携帯を取り出し、時刻を確める。午前9時25分。シーツをベランダに干し終えたなら、もうハボックを叩き起こしてもいいだろうか。 微妙な距離感を保ちながらも俺たちは、12月の寒空を、寒い寒いと当たり前のことを言い合いながら街を行き、地下鉄に乗っていくつか目の駅で降り、再び寒い寒いと、とりわけ他に会話があるわけでもなく、ひたすらにセンセーの家に向かって歩き続けた。 途中のコンビニで缶チューハイとビールを買って、つまみにゲソとおでんを買って、寒い寒いと歩き続けた。 しばらく歩いて辿りついたセンセーの住むマンションは、ぶっちゃけハイソな高級マンションというやつで、思わずぽかんと見上げるほどには背が高い建物だった。 「うお…。センセーって金持ちだったんだんかー…」 「告白すれば、私ではなく親が、かな…」 「缶チューハイとか持って入っていい雰囲気じゃねえな、コレ。つか、袋からはみ出たゲソだけでもしまったほうがいいかな?なあ、センセー。どうしよう?」 「…なに言ってるんだ、いいから早く入っておいで」 思わずといった様子で噴出したセンセーの後ろに慌ててついて、ゴージャスなエントランスを潜りぬけた。 まさかのセンセーの爆笑で微妙な緊張感から解き放たれた俺たちは、部屋についてまったりしながら、高校時代の話だとか、今のコウコウセーがどうだとか、酒を飲んでつまみを食べて、そんな他愛のない話をしているうちに、卒業してからの話になって、最近はどうなんだ?と俺に聞いたセンセーは、うーん、これといって別に。と答えた俺に、そうか、とそれ以上の詮索をしてこようとはしなかった。ゲイだと言った俺についてのアレコレを、他のノンケの男や女のように、根掘り葉掘りと不躾に聞いてくることはしなかった。 ただ笑って話を聞いて、昔と同じに優しい顔で、ただ笑って。 それからいつの間にか眠ってしまったらしい俺は、目を覚ますとふかふかのベッドの上にいた。 そして驚いたことに、隣にはセンセーが眠っていた。めちゃくちゃ無防備な顔で、初恋がすやすやと寝息を立てていた。 ベランダに干したシーツが、水分を含んだその重みごと、風に吹き飛ばされそうになる。 今日はいい天気で、けれど風が強かった。シーツを手で押さえながら、布団バサミを探したけれど、どこにいったものやら見つからない。仕方なく俺は片手でシーツを押さえつつ、携帯電話をぱかりと開いた。 呼び出し音が数回鳴って、電話口に出たのは何故かママだった。起き抜けの野郎の声で、あいよー。と言った。 「あ、あれ?ママ?俺、ハボックんとこ掛けたつもりだった」 「なあに、朝っぱらから間違え電話?ばっちりアタシのとこにかかってきてるわよ」 「悪ぃ、起こしたね」 「んーん。いいわ。…ねえ、それより昨日あれからどうなった?」 溜息とともに手を振りながら俺を見送ったママではあったが、やはり気になっていたのだろう。声が期待に満ちている。 「うん。あのね。…うへへへへ」 何よ、気になる笑い方して。そういうママの声もニマニマと笑っている。 「寝ました。もう、バッチリと」 キャー!と電話口からママの裏返った声が、ちょっとちょっと、それでどうだった?と先を促してくる。 どう、どうって最高だったよ。もう全部がほんとに最高だった。髪も、瞳も、睫毛もさ。案外長かったりして、声とか、汗とかそういうの、ずっと好きだったセンセーの、全部がもうたまんなかった。 そう、俺の初恋の相手はセンセーだった。決して告げることなどなく、誰に知られることもなかったけれど、センセーは俺の初恋だった。 恋をするならきっと相手は可愛らしい女の子なんだろうと、当たり前のように思っていた当時の俺の、その全てを覆した男が、初恋が、手を伸ばせば届くところにいるのだと思ったら、もうどうにもたまらない気持ちになった。 今まで寝てきたどんな男にも感じたことのない、高揚感とか忘れかけてた焦燥感とか、煩いくらいに鳴り響く心臓の音だとか、緊張しすぎてこむら返りを起こしそうな四肢だとか、あらゆる全てがもうどうにもたまらなくなって、気がついたら夢中でしゃぶってた。やべえって頭でわかってんのに、でもどうにもとまらなかった。必死になって舌を這わして、自分で後ろ解したのなんて初めてだっつーのに、どうしてもセンセーが欲しくってたまらなくって、そしたら流石に目を覚ましたらしいセンセーが、呆然とした顔つきで、知らないものを見るような目で、俺のことを見つめていた。 なあ、ママ。俺さあ。ママにも散々言われたけど、やっぱすんげえバカみたいで。どうせ軽蔑されんなら、とことんまで軽蔑されたらいいって、そんな風に思った。 だから、後で殺していいから今だけ寝てて、って。夢だと思って見逃して、ってそう言った。 そしたらセンセー、なんて言ったと思う?これには俺もマジでビビったんだけど、そういうことなら、ってさ。ノンケのくせに俺のこと押し倒して触ってくんの。童貞みたいにたどたどしい手つきでさ。なにをどうしたらいいのかわかんねえ、って仕草で、恐る恐る触ってくんの。 俺、慣れてるからいいよ、って、女とやるときにみたいにやっていいよ、ってセンセーに言ったんだけど、やっぱどうにも優しいんだよ。ああ、この人はこういう風に女を抱くんだな、ってそんとき思った。優しいんだよ、バカみたいに。あの人ノンケなのにさ。俺なんか、いいのに。バカみてえ、ほんとに。 センセーは最後まで俺に優しかった。感極まって後先すら考えず、中に出していいと言った俺の腹の上に、センセーは精液をぶちまけた。 うとうとしながらしばらくぼーっとしていたら、シャワーを使いにセンセーが部屋を出て行くのが見えた。 その後姿を見送って、白いシーツに零れた真新しい染みを指と目で辿り、そこでようやく俺は我に返った。 とりかえしのつかないことをしたと思った。フリーセックス万歳でセーフティセックス推奨な、俺がいつも相手にしてきたような、彼は適当な男ではなかった。初恋の相手だった。しかも、ノンケの。とりかえしのつかないことしてしまった。目の前が真っ暗になって、頭の中が真っ白になった。居た堪れなかった、もうどうしようもなく。汚してしまったと思った。真白いシーツに精液の染みが吐き零されているように。 気がついた時には、俺は夜の街を走っていた。どうしたものか、手にはしっかりとシーツを握り締めたまま、ただ闇雲に夜の街を走っていた。走りながらも家に着いたら、とにかくシーツを洗おうと思った。洗って元の白さに戻さなくちゃいけないと思った。洗ったからってなにがどうなるものでもないとわかっていても、それでもせめてシーツくらいは。 汚してしまった。いろんなものを、大事なものを汚してしまった。ああ、俺は。とりかえしのつかないことを、してしまった。 「ママ、あのさ」 「うん?」 「ずっと好きだったノンケの男を忘れるためには、一体どうすりゃいいのかな…?」 フリーセックス万歳でセーフティセックス推奨の、そんな俺はいつもと同じに夜の街に繰り出して、けれどナンパするのも面倒で、だから面倒にならない適当な相手を見つけては、一夜限りの恋をする。繰り返す毎日は単調ながらも、飽きることもない。そんな生き方しかできない俺は、そうしていくつの夜を繰り返していくうちに、いつか忘れることができるのだろうか。そうしていつか、忘れていってしまうのだろうか。 「…大丈夫だ。大丈夫だからな」 大丈夫、大丈夫。根拠のない大丈夫を電話口で繰り返すママの声は、すっかり野郎の声になっていて、そのことがなんだか可笑しくて切なくて、ほんの少しだけ、俺は笑った。 今日はとてもいい天気で、けれど風が強かった。ベランダに干したシーツが、水分を含んだその重みごと、風に吹き飛ばされそうになる。シーツを手で押さえながら、布団バサミを探したけれど、どこにいったものやら見つからない。仕方なく俺は自分の身体でシーツを押さえながら、ベランダに跪いた。空は青く、冬の太陽はいっそあからさまなほどに眩く光輝いている。どこからともなくジングルベルの歌が風に流され聞こえてきて、どこかの家の洗濯物も同じく風に流され飛んでいった。布団バサミの代わりになった俺の頭に、シーツが覆いかぶさってくる。白が目に眩しくて、突き刺さるような痛みを覚えて、俺はきつく目を閉じた。宥めるように頭の上でソヨソヨと風に吹かれるシーツからはニセモノのお花畑の匂いがしている。 投げ出した携帯電話から洩れ聞こえてくる、大丈夫大丈夫、とあやすように繰り返すママの声はすっかり野郎のそれになっていて、俺はそれが可笑しくてほんの少し切なくて、声が男になってんぞ、と言おうとした口から溢れ出たのは、何故か嗚咽だけだった。 単調ながらも飽きることなく繰り返される毎日を、生きていくのはとても容易く、後腐れのない相手を見つけては、一夜限りの恋をする。そうして日々を生きてきた。それなりに幸せな、俺にとってのバラ色の人生だ。 初恋の男が放った精液の染み込んだシーツを洗い、バカみたいに泣きながらベランダに干している。そんな日もある、別に大したことじゃない。後から後から溢れ出る涙が風に飛ばされていく。そんなこともあるだろう、別に大したことじゃない。 不意に感じた違和感にポケットの中を探ったら、六面揃ったルービックキューブが転がり落ちてきた。キューブを揃えたセンセーの指先と得意げだった顔が脳裏に浮かんだ。片手にシーツを、片手にキューブを握り締め、ベランダで死ぬほど泣いている、俺は、ゲイだ。それもこれもがよくある日常、よくある話だ、どれもこれもが別に大したことじゃない。今日は天気が良くて、風の強い、ただ風の、強い日だ。 |