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初雪、初恋、レモン味。
センセー、ピザは厚いのと薄いのどっちが好き? と、エドワードは家のドアの前にしゃがみこんだままそう言って、赤く染まった鼻の頭を両手で押さえた。 あれは確か土曜の夕方、終わりかけの秋に木枯らしが吹いた、寒い日のことだった。 厚いやつ。と答えれば、俺はみみにチーズの入ったやつがいい。と選択肢にはなかったことを言いながら、私の上着のポケットを勝手に探って鍵を取り出し、勝手に玄関のドアを開け、勝手に家に入り込み、暖房までをも勝手につけて、センセー、入んないの? と、にっこり笑って、あたりまえのように寛ぎだした。 一人だとサイドメニューまで頼めないから、やっぱ二人の方がいいね。 缶ビールを片手に、上機嫌でもりもりとポテトを口に運んでいたエドワードは、缶を一本空けないうちに、コテンと横になり、そのまま眠りについてしまった。 ヤケに幸せそうな顔ですやすやと眠るエドワードを叩き起こすには忍びなく、さりとて、このまま家に泊めてしまうのもいかがなものかと、揺すったり摘んだり、諦め半分、布団へ運ぶのに持ち上げてみたりもしたのだが、なにをしようが、エドワードは穏やかそうに規則正しい寝息を立てて、次の日の昼過ぎまで目を覚まそうとしなかった。 寝起きのぼんやりした顔のままで、じゃあねえ、センセー、また明日ねー。と、手を振りながら部屋を出て行った、エドワードの後ろ姿を窓から見送りながら、妙にむず痒いような気持ちになったのを覚えている。 たった一晩で、あたりまえのように馴染んでしまった、そこにあるべきはずのなにかを手放す寂しい感じ。 また明日会えるのか、と思えば怠いだけの月曜が、途端に待ち遠しくなるような、そんなソワソワと浮き立つ感じ。 こんな落ち着かない気持ちになるのはいつぶりだろうと考えて、ああ、そうか。と気がついた。 自分の、もしくはお互いの、なにかに似た淡い感情に気がついたのはそのときが初めてで、恐らく、これが二人のはじまりだった。 なにかに似た淡い感情が、確かに恋だと自覚したのは、それからほどなくした、雪がぱらつく冬の日ことだった。 窓辺から外を眺めていると、いつものように買い物袋を手に提げて、エドワードがちまちまと路地を歩いてくるのが見えた。 雪が珍しいのか傘もささずに、時折ぽかんと上を見上げては、楽しそうにクルクルと廻っている。 「エドワード!」 「あ、センセ」 窓を開けて声を掛ければ、ぽかんと口を開けたままの顔をこちらに向けて、マヌケな顔で嬉しそうに手を振った。 「センセー。なあ、雪」 「見ればわかる。いいから、早く上がって来い」 「だって、初雪…って、おおっ!? 窓、閉めた!」 窓をぴしゃりと閉めて、カーテンを引いた。 ここまですれば、流石に部屋に上がってくるだろう。いくらアレなあの子でも、あんな薄着でいつまでも外にいればきっと、風邪をひく。 「アンタ、酷いよね。ひとでなしだよね」 「どこがだ。わざわざ玄関まで出迎えてやってるのに、なんだその言い草は。優しさに満ち溢れた行為だろうが」 エドワードはこれ見よがしに玄関の中でパラパラと、犬のような仕草で雪を振り落としながら、部屋の中に入ってくる。 その頃には、すでに毎日のように彼は家へとやってくるようになっていたのだが、二人の間にとりわけなにがあるわけでもなかった。 「寒いから、今日はクリームシチューにした」 「牛乳が嫌いなんじゃなかったか?」 「シチューに姿を変えれば好き」 がさがさと袋の中から食材を取り出してはニコニコと、楽しそうにふんふん鼻歌交じりでじゃがいもを洗い出す。 「お湯でるぞ?」 「いいよ、水で。なあ、センセ。トマト食べる?」 「ん?ふごっ」 返事も聞かないうちから、軽く水洗いしたプチトマトを口の中に突っ込まれた。 眉間に皺を寄せながらトマトを咀嚼する私を見て、エドワードが笑っている。 なにがいいのか、家にいるときのエドワードは、いつも楽しそうだった。 教室の片隅で、つまらなそうにぼんやりと、ひたすら外を眺めている彼とはまるで別人で、表情すらもがまったく違う。 だからだろうか。 その時、彼が自分の受け持つ生徒だという事実も忘れて、罪の意識など欠片も思い浮かばなかった。 ただ、エドワードの髪に残った雪の欠片が、冷たく指先に触れたのを覚えている。 「…はっ、じめてのチュウって、さ」 「え?」 「レモンの味がするんだとばかり、思ってた…」 「は…」 その言葉に、心底驚いた。 それほどまでに、エドワードに関する噂はあれからますます盛大に、愛人だのパトロンだのに上乗せされて、今では水子までもが登場するほどの盛り上がりをみせていたからだ。 それらすべてを鵜呑みにするほど単純ではないが、流石にまさか彼の口から、そんな初々しい発言が飛び出すとは思ってもみなかった。 どこかぼうっとした顔で、そう呟いたエドワードの顔をぎょっとしたまま、まじまじと見つめてしまう。 「レモン味じゃなかったか?」 「や…。よくわかんなかった…」 「そうか。じゃあ、よく味わえ」 「え…?」 頬を撫で、軽く上向かせた顎を掴んで、睫毛が触れ合うほどに近くで見つめ合う。 そっと目を閉じる仕草をしてみれば、慌てたようにエドワードがぎゅっと瞼を閉じた。 思わず笑い出しそうになるのをぐっと堪えて、上唇を軽く食み、固く閉じられたままの唇を舌先で舐め上げ、わざとらしく、ちゅっと音を立てて離してみれば、変わらず目を閉じていたエドワードは、ぱかりと目を開け、ふぉっとよくわからない声を上げた。 「どうだった?」 「…トマト味だった」 「さっきのトマトのせいだろうな」 「…なあ、センセ」 「ん?」 「さっきのトマト、甘かった?」 「…あ?」 なんか今、すげえ甘くてビックリした。 プチトマトのように小さな顔を真っ赤に染めて、エドワードがそう呟いた。 思わず呆気にとられてしまった私は、胸の奥から込み上げてくる、それこそ口いっぱいにレモンを頬張ってしまったかのような、懐かしくも甘酸っぱい気持ちに居た堪れない思いがする。 ――勘弁してくれ。忘れかけてた、こんな気持ちは。 この気持ちに名前をつけるとするならば、恐らく人は、それを恋と呼ぶのだろう。 |