朝起きたら雪が降っていたので、外に出てみた。
まだ誰もが眠りについているだろうこんな時刻、冷たく刺すような凛とした外の空気を胸いっぱいに吸い込めば、寝ぼけた五感が目を覚まし、怠惰な四肢がしゃんと伸びていくのを感じる。
積もった白雪の上、ひとつめの足跡を刻む。
むぎゅ、と靴の裏側で、雪が踏みしめた形のままに固められる音がした。
二歩目を踏み込めば、再びむぎゅ、と雪の固まる音がする。
むぎゅ、むぎゅ、むぎゅ。
踏みしめるたび素直に音を立てる足元の雪が、あまりに白くて、わけもなく愛しくて、ただ夢中になって、新雪の上に足跡を残し続けた。
「…わーい」
「楽しそうだなあ、鋼の」
小声で喜びの声を発した途端、頭上から気だるそうな大佐の声が降ってきた。
「大佐…」
「一晩で随分と積もったな。君、寒くないのか?」
「…寒いけど。でも、雪だから」
「ふーん…。まあ、ほどほどにな」
大佐はいかにも気がなさそうにそう言うと、顔を覗かせていた部屋の小窓をパタリと閉めた。
昨日の夜は、大佐とくだらない言い争いから喧嘩になって、悪いのは多分俺の方で、気まずい思いで不貞寝して、朝起きたら雪がどっさり積もってて。
久しぶりにようやく会えた、大佐とホントは喧嘩なんてしたくなかった。
いちゃいちゃラブラブしたかった。
そんな俺の思惑とは裏腹に、あまり素直じゃないらしい俺の口は、思いつく限りに大佐の悪口を並び立て、機関銃のように乱射していた。
「あーうー…」
イライラしながらベッドにどかっと蹴りをいれ、そのまま毛布に包まって、一晩中いじいじしていた。
そもそも俺が素直じゃないことくらい、大佐だってわかってるはずで、だったら大佐が折れたっていいじゃねえか、オトナなんだし。とか。いやいや悪いのはどう考えたって俺の方だし、謝るのは俺の方だろ。とか。でもでも大佐も大人げないよね、あんなに怒る事ねえじゃんか。とか。
いやいや、でもでも考えながら、一晩中、うだうだ、いじいじ。
そうしている間に朝になって、カーテンを引いたら、雪が降っていた。
一面に白く染まった世界が目の前に広がって、泣きたくなるくらいに真っ白で、昨日の自分のいじいじ加減がどうにも恥ずかしくなるほど清清しかった。
外に出て、雪に塗れて、その清清しさをちょっとだけ分けてもらったら、大佐に謝ろう。
そう、思っていたのに。
心の準備ができないうちに、大佐に見つかってしまった。
ごめんなさいも言えないうちに、窓をパタリと閉められてしまった。
「あーうー…。大佐ー…。ごめんなさーい…」
言おうと思って言えなかった言葉を、雪に向かって呟いてみる。
「ああ」
背中にもふっとした重みを感じて振り向けば、いつからそこにいたのだろうか、中途半端な表情をした大佐が、俺の背中にコートを掛けているところだった。
「…大佐」
「ん?」
コートを2枚も羽織らせて、俺の首にマフラーを巻き、手に手袋を嵌めさせて、頭に帽子を被らせた。
「大佐」
「これでよし。そんな薄着では風邪を引いてしまうだろう?…なんだ、君」
「…え?」
「まるで、雪だるまみたいだな」
自らもまるまると着膨れて、でっかい雪だるまになっている大佐は、そう言って笑った。
窓から見えた君が、とても楽しそうだったから、私も外に出てみたよ。
大佐はそう言いながら、雪の上に足で絵を描き出した。
「なに描いてんの?」
「ん?傘」
「傘?え、まさか。うわわわ…うわぁ…」
「いいだろう。相合傘。…さ、君はここな?」
よし、私は向こう側に廻ろう。
そう言うと、大佐は自ら描いた相合傘の片側にいそいそと廻りこみ、どさっと雪の上に身体を横たえた。
「わーい」
「…わーい、ってアンタ…」
あまりな展開に呆然と立ち尽くす俺に、大佐は右手でぽすぽすと白い地面を叩いて促した。
「鋼の、ホラ」
「ううーん」
「ホラ、早く」
「…うーん。うん…」
妙に居たたまれない気持ちになりながら、恐る恐る傘の片側に身を横たえた俺を見て、大佐が満足そうに笑っている。
「鋼の。上」
「うん?」
「雪が、空から落ちてくる」
「うん」
薄くぼやけた空の上から、白く舞い散る雪が俺たち目掛けて落ちてくる。
大地に横たわる俺たちの身体ごと、地上の全てを覆い尽くさんと、白く白く、どこまでも白く。
「…雪だなあ」
「雪だねえ…」
その白さが不意に恐ろしくなって、指先に触れた大佐の手に軽く縋ってみれば、指先を掴まれぎゅっと強く握り返された。
この白い世界に、たった二人で取り残されてしまったかのような、そんな錯覚。
「…大佐ぁ」
「ん?」
「昨日、ごめんね」
「ああ」
掴まれた指先に力が込められ、身体ごと腕を引き寄せられる。
雪の上をコロコロ転がされ、本気で雪だるまになりかけた俺を腕の中に収めて、大佐はむぎゅっと俺を抱き締めた。
この白い世界に、たった二人で取り残されてしまったかのような、それは幸せな錯覚。
わけもなく嬉しくて、わけもなく愛しくて、ただ夢中で大佐の身体を抱き締め返した。
重なる二人の身体の下で、白い雪がむぎゅっと小さな音を立てる。
重なりあって音を奏でる、きっといつかは溶けて消えていってしまうだろう、愛しいものたち。
わけもなく愛しくて、わけもなく哀しくて、ただひたすらに抱き締め続けた。
白い空からなにも知らない顔をした、雪が今も降り続いている。