3m50cmのブーム
先日、執務室に姿見が運び込まれた。
誰が頼んだのだか知らないが、とりあえずあって困るわけでなし、そのまま部屋の隅に置いてある。
その姿見は、恐らくは新品であるのだろう、所謂保護シートに包まれて運び込まれてきたわけだが。
それは、私達に小さな興奮をもたらした。
それ以降我々はその偶然がもたらした、静かなブームに支配されることになる。
*
「…大佐、俺…ッ」
「どうした、ハボック」
「もう駄目っす。マジ駄目ですって」
「は。根性が足らないな。…まあ、いい。しばらく休め」
「あ、ありがとうございます…」
俺が大佐の執務室を訪れた時、室内は異様な空気に包まれていた。
静かながらも、押し迫ってくるような熱気の渦。
一体、何事があったのかと、俺は身体を強張らせた。
「あの、大佐…」
「まさか、とは思うが。君もなのかね?中尉」
「申し訳ありません。…ですが、これ以上は」
「まあ、仕方がないさ。君もしばらく休んでくれたまえ」
「はっ、すぐに復帰いたします!」
「ああ、期待している」
ハボック少尉の次には、ホークアイ中尉までもか。
残るは大佐のみだな…。
「ところで、鋼の」
「…なに?」
「君は、いつまでそのまま静観しているつもりなんだね?」
「あー、ねー…」
「君には私の力になろうとか、そういう気持ちはないわけか?」
「…いや。別になくもない」
「ならば…」
「ただし。場合によりけりですがね、大佐」
「今は力になるつもりはないと、そういうことか…?」
「うん、そういうこと。・・・っていうかな。アンタら、さっきから何してんの?」
「見ればわかるだろう。潰してるんだ…ッ!」
プチプチプチプチプチプチプチプチ・・・・・・・。
エンドレスで繰り返されるその音だけが、執務室に静かに響き渡っている。
「まあね。保護シートのプチプチ潰してんだろ?見ればわかる」
「ならば聞くな。時間のムダだ」
「…じゃなくてさ。俺が聞きたいのは、なんでそんな必死になって潰してんだってことだよ。それにどっちかというと、それ自体が時間のムダじゃねえのかよ」
「…姿見が、運ばれてきた」
「うん」
「保護シートが巻かれてたので、外してみた」
「ああ、うん」
「そしたらなんと、だ。驚け、鋼の」
「…ああ?」
「3メートル50もあったんだ」
「へえ」
「…え?それだけ?」
「は?」
プチプチプチプチプチプチプ…チ。
音が止む。辺りが静けさに包まれる。
「それだけか?鋼の」
「え?え?なにが?」
「…潰したくならないか?3メートル50だぞ?」
「いや…」
「3メートル50センチも、延々とプチプチがついてるのに?」
「俺は、別に…?」
「嘘だろう?潰したくなるはずだ、人の子ならば!」
「そんなムキにならなくても…」
「統計がある。このプチプチを目にした時、およそ8割の人間は潰したくなるそうだ」
「ああ、そう」
「…潰したくなってきたか?」
「ううん。全然」
「8割だぞ?」
「じゃ、俺、残りの2割だな」
「・・・」
プチプチプチプチプチプチプチプチ・・・・・・・。
再び大佐がプチプチと潰す音が室内に響き出す。
「あのさ、大佐」
「…なに」
「もしかして、やめどきを失ってる?」
「…ちょっとだけ」
「あー、やっぱり?っていうか、それ終らせないといけない気になってる?」
「…なってる」
「あっそ。…わーったよ」
「鋼の?」
「手伝ってやる。だから、早く潰して飯食いに行こうぜ?」
「…おごるよ」
「当然」
*
それからたっぷり時間をかけて、3メートル50のプチプチは、全て我々の手によって潰された。
プチプチの消滅とともに、突然沸き起こった静かなブームは、同じく静かに去っていった。
あの後、指先が痛いと散々文句を言っていた少年と、食事をしに出かけていって、これまた地味な事件に巻き込まれてしまったのだが、これはまた別の機会に。