掌の雪。
あの子の電話を受けたのは、風の強い水曜日の朝のことだった。
「もしもし?大佐?」
「…鋼の?」
「うん。おはよ、大佐」
電話口から聞こえてくるのは、確かに聞き覚えのある少年の声だった。
一度、手元を離れてしまえば、なしのつぶての。
時折届く報告書だけが、彼の居所を知る唯一の手段で。
それが電話を掛けてくるなんて、余程のことがあったのか、と。
憶測と不安が頭を過る。
「どうした?何かあったのか?」
「どうもしない。朝の挨拶でもと思って、電話しただけ」
「…は?朝の挨拶?」
「うん、そう。おはよう。大佐」
「――…ああ、おはよう」
よしよし。
電話口から、少年が満足げに頷く様子が伝わった。
「――今朝さぁ、起きたら雨が降っててさ」
「そうなのか?」
「うん。そっちは降ってないんだ?雨」
「降ってはいないよ。風は強いがね」
「そうなんだ?寒い?」
「そうだな。今朝は特に冷え込む」
そっか。それは一緒だね。
そう言って、吐息だけで微笑んだ。
「多分ね、明日の朝はきっと雪になると思うんだ」
「――何故?」
「腕が軋むから」
今でも腕が痛むのだと言っていた。雨に降られた寒い夜。
シーツに包まり閉じ込めた腕の中、途切れがちに囁くように。
「…今、どこにいるんだ?」
「ひ・み・つv」
「…鋼の」
「あはは。冗談だよ」
少年が告げた町の名は、遥か遠く北の大地。
「また、随分と遠くに行ったものだな」
「まあね。成り行き上っつーか、なんつーか。…ノリ?」
「ノリか」
「そうそう」
ノリ、だけではないのだろう。
また何かやっかいごとに首を突っ込んでいなければいいのだが。
「ノリも結構なことだがな」
「うん?」
「あまり私の手が及ばぬ場所で、無茶をしてくれるなよ?」
「大丈夫だって。大佐に迷惑かけるようなことはしないからさ」
「そう意味で言っているわけではないのだがね」
「…わかってる」
ありがと。心配してくれて。
はにかむ様子が手に取るように見えるのに、呟く声が遠くに聞こえる。
窓の外に目をやれば、あんなに強かった風がいつしか収まって、静かに雪が降っている。
「…雪だ」
「え?」
「雪が降ってきたよ。初雪だな…」
「セントラルにも雪が?」
「降るさ。君は見たことがなかったか?」
「どうだったかな…?ああ、でも」
「ん?」
「今度、大佐と会ったときに、もしも雪が降っていたら」
「ああ」
「そしたら、いいもの見せてやるよ」
「…なにを?」
「溶けない雪。俺、掌で雪を掴めるからさ」
それは決して、溶けたりはしないから。
「そしたら、大佐に見せてあげるね?雪の結晶」
鋼の手足も捨てたもんじゃないんだぜ?
そう言って笑った少年の声がほんの一瞬、震えたような気がして。
気のせいであったらいいと、この手に触れられぬ今は、そう思う。
「――雪が降っても、降らなくても」
「うん?」
「鋼の手足も、君のすべてを」
「大佐?なに?」
「この目でゆっくり楽しみたいから、気が済んだらすぐにも君は帰っておいで」
「――ばっ、かじゃねえの…?」
「楽しみに待ってるよ」
「…うん」
窓の外には今年最初の雪が舞い降りて、辺りを一面淡い白に染め上げていく。
あの子がいる北の大地も、きっと雪が降るだろう。
同じ雪が降るのなら、あの子が言った明日の朝まで、この雪が降り続けばいいのにと、途切れた電話の受話器を耳に当てたまま、舞い散る雪を見つめていた。