残す、傷痕。




パチン、パチン、と一定のリズムで聞こえてくる小さな音で目を覚ました。
そんな僅かな音で目を覚ましてしまうほど、眠りが浅かったのだろうかと薄く開いた視界の隅、隣に眠るはずの少年の姿がないことに気がついた。
腕の中のぬくもり、腕の上に感じていた重みを、無意識ながらに恋しがり目が覚めたのかもしれないと、まだはっきりと覚醒しない意識の中で、そんなことをぼんやり思った。
探るように掴んで確認した時計の針は、2時過ぎを指している。
起きるにはまだ早いだろうこんな時刻に、あの子は一体何をしているのか。

「…なにしてる?」
僅かに灯された明かりですら、暗がりになれてしまった目には刺激が強すぎた。開いた扉の向こう、目を細めながらそう尋ねる。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「いや…。爪を切っていたのか?」
「うん」
パチン、パチンと聞こえてきた音は、少年が爪を切る音だったのかと、ようやく慣れた視界の中でそう納得する。
「それは、今やらないといけないことなのか?」
「ん?…うーん。思い立ったときにやんないと、そのまま忘れちゃいそうだから」
少年の隣に腰掛けて、危うげな手元を覗き込む。
「…夜中に爪をきるもんじゃない」
「ああ…。よく言うよね。早死にするから、だっけ?それとも、親の死に目に会えないんだっけ?」
どっちでも同じか。まあ、いずれにしても俺には関係ないけどね。
パチン、パチンと、さほども興味がなさそうに爪を切り続けている。
「鋼の」
「ん?…っつ!」
「…ほら、みろ」
びくりと一瞬、少年の身体が震えた。
深く切りすぎたのだろう。足の爪先から、薄く血が滲んでいるのが見える。
少年の足首を捉えると、そのまま血の滲んだ指を口に咥えた。
「…ちょ!なにしてんだ、アンタ!」
「消毒、及び止血」
「ばっ…!う…ぁ、ちょ、待て、やめろって…!」
指先と指の間を舌先で嬲りあげれば、びくりびくりと身体を震わせながら、少年が過敏なまでの反応を示してくる。
「は…、やっ…。大佐」
「んん…?」
ちゅ、と音を立てて咥えた指先を開放すれば、潤んだ瞳で睨めあげてくる少年の視線とぶつかった。
「…信じらんねえ。いきなり何してくれてんだ…」
「だから、消毒と止血だろう」
「だからって、いきなり足の指なんか舐めんなよ…!?」
「…いつもしてるだろう?」
「――黙れ」
もう変態のいうことなんか、俺に理解できるはずもねえよ。
はあ、と呆れたように肩で一つ、ため息をつく。
「鋼の」
「…あ?」
「夜中に爪をきるんじゃないよ」
「あー、なんだ。アンタ、そういう迷信信じるタイプ?」
「いや?暗がりで爪を切ると怪我する、と言いたいだけだ」
「…まあ、確かに」
言い返せない。しかも変なオプションついてきたし。
天を仰いで、そう呟いている。
「そもそも、なんで今なんだ?」
「え?」
「明日でもよかっただろう?言ってくれれば、私が切ってやったものを」
「ああ…。得意だもんね、アンタ」
「鋼の?」
「うん。――それ、さ」
「ん?」
おざなりな様子で少年が指し示した場所に目をやれば。
「…背中?見えないが」
「そりゃ見えないと思うけど。…結構、大変なことになってる」
「ん?…ああ」
見えない背中に無数に残されているだろう、爪痕のことを指しているのだと思い至った。
「…ごめん」
「なんだ、そんなことを気にしていたのか」
「だって、痛そうだし。痕残るし…」
「大歓迎だ。痛みも痕も、ね」
「――…マゾ」
「そうかもしれん。こと、この事に関してだけは…」
背中に残る爪痕に、少年がそっと指を這わす。
「…痛い?」
「いや?むしろ喜びだな。だからもっと残してくれて構わない」
「…変態?」
「なんとでも。ところで、鋼の」
「なに?」
「君が気になるのなら、爪きりの続きは明日の朝に私が代わりにやっておくから…」
「…うん」
「夜は夜にふさわしい、もっと有意義な時間の過ごし方をしようじゃないか…?」
「――バッカ…」
憎まれ口を叩きながらも、静かに閉じられた瞳に了承の意を汲み取りながら、そのまま深く接吻を交わした。
深まる夜に、互いの熱を溶かしあう。
少年の身体に散らした赤い痕に、己の背中に残された僅かな傷痕を重ねて思う。
少年の唇から甘い吐息にが洩れるたび、痛むはずもない背中の傷が、痺れるようにじんと疼いた。